兄 藤田航平選手(中仙) 角館高校で甲子園出場
詳細は <BALL PARK AKITA> にて
BALL PARK AKITA より転載 (画像/保護者提供)
2017年12月
堀内清美選手(大館鳳鳴-鷹巣)熱球通信(平成11年9月)より転載
日刊スポーツ / 石川の16年目は4勝14敗。現役最多の通算156勝を挙げている石川にとって苦しい1年だった。11年高崎 (横浜=5勝15敗) 以来の2桁借金を喫し、14敗はリーグワースト。4勝以下でリーグ最多敗戦は、09年にセ・リーグのグリン (横浜) とパ・リーグの渡辺俊 (ロッテ) 小林宏 (ロッテ) が記録して以来、12人目。現役最多勝利の投手がリーグ最多敗戦を記録するのは、現役最後の55年に21敗した通算303勝のスタルヒン (大映) 以来、62年ぶりの珍しいケースだ。5月24日広島戦から11連敗でシーズンを終了した。シーズン2桁連敗は16年東明 (オリックス=10連敗) 以来22人、24度目だが、10連敗した投手は実績のない若手が多い。通算50勝未満の投手が14度記録しており、通算100勝以上で2桁連敗は66年にプロ野球記録の15連敗した梶本 (阪急) 以来、51年ぶり4人目。37歳シーズンに2桁連敗は51年笠松 (広島) の35歳シーズンを上回る最年長記録となった。最年長で2桁連敗を喫した石川だが、10年には11連勝をマーク。国鉄時代に11連敗した通算400勝の金田や通算254勝の梶本は10連勝しておらず、シーズン2桁連勝と2桁連敗の両方を記録した投手はプロ野球史上初めてだ。成績は悪かったものの、今季も23試合すべて先発した。これで09年4月3日阪神戦から230試合連続先発となり、連続試合先発記録は山内 (阪神) 三浦 (DeNA) に次いで3位に進出した。石川のリリーフは過去に15試合しかなく、通算427試合のうち412試合が先発。400試合以上先発は20人いるが、そのうち大卒の投手は高橋直 (巨人=404試合) と石川だけ。大卒では高橋直を抜いて最多先発となった。先発にこだわってきた石川の復活に期待したい。【伊藤友一】 ▼ヤクルトは球団ワーストの96敗で最下位。シーズン96敗以上は05年楽天の97敗以来9度目で、セ・リーグでは99敗した55年大洋以来、62年ぶり。5~6月に10連敗、7月に14連敗を喫し、シーズン2度の2桁連敗は70年以来、球団史上3度目の屈辱だった。ホームでは30勝40敗2分けの勝率4割2分9厘に対し、ビジターは15勝56敗の勝率2割1分1厘。ビジターの同一カード2連戦、3連戦は23度あったが、8度の0勝3敗を含む22度が負け越し。敵地の連戦で勝ち越しは5月16~18日、東京ドームで2勝1敗だった巨人戦の1度しかなかった。
http://www.asahi.com/koshien/articles/ASKD7562ZKD7UBUB00M.html 金足農でマネジャーをしていました。入部のきっかけは友達の誘い。最初は、二塁手と遊撃手の違いすらよくわかりませんでした。部室で試合の映像を見ながら、何度もスコアを書いてルールを覚えました。お茶作り、ユニホーム洗濯、折り鶴……。マネジャーの仕事は様々です。特に球場でのアナウンスは、夕食後に両親の前で練習しました。選手は平日は朝5時に集合し、土曜や日曜も練習。ヘトヘトになるまでしごかれていました。でも、甲子園という目標があるから、みんなで楽しくやれていました。一番の思い出は、3年夏の秋田大会準々決勝です。相手はその大会で優勝した能代商。グラウンドの砂を入れたマネジャー手作りのお守りを手に、スタンドから応援しました。五回裏に金足農が先制すると大騒ぎ。直後に逆転され、また追いつき、みんなで一喜一憂。最後まで諦めませんでした。敗退が決まり、悔しさと感動が入り交じり、涙が止まりませんでした。その後は盛岡市の専門学校で美容を学びました。学内のファッションショーでモデルをやり、小さいころに憧れていた芸能人の仕事の楽しさに気付きました。卒業後、受付の仕事などに就きましたが、どうしてもモデルを諦めきれずに事務所に応募しました。モデルの仕事は楽しいですが、収入面は安定していません。モデルウォークがうまくいかない時など、くじけそうになる。そんなとき、マネジャー時代の帽子やお守りを取り出します。夢に向かって頑張っていた当時を思い出し、気持ちを奮い立たせます。昨年あった東北全体のイベントのモデルに、3回目の応募でようやく選ばれました。活躍の場を広げ、色々な人に一歩踏み出す勇気を与えられるようなモデルになりたいです。(聞き手・神野勇人)
<平成22年度 秋田県立金足農業高等学校野球部3年生>加藤健(男鹿東)、高橋空(阿仁)、武田玄太(土崎)、田口晃大(羽城)、石川翔太(羽城)、伊藤柊人(男鹿東)、○加藤介馬(大潟)、高橋孝輔(井川)、進藤大地(羽城)、沼田陽平(天王南)、小松弦矢(仙北)、藤原和孝(秋田北)、三浦一夢(井川)、湊佳之(井川)、籾山拓也(男鹿南)、佐藤優樹(秋田東)、森川のどか、藤原唯、<責任教師> 尾形徳昭、<監督> 嶋崎久美。※誤字脱字訂正加筆 j staff@cna.ne.jp
<スポニチアネックス> https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171217-00000079-spnannex-base 大卒でプロに行くか、2年間社会人で鍛えてから挑戦するか--。富士大で正捕手を務め、侍ジャパン大学代表にも選出された小林遼(4年)が悩んだ末に出した答えは、後者だった。「プロ志望届を出すには、まだ実力もメンタル的にも足りないと思った。でも、僕は2年後のプロを目指さないといけない立場だと思うし、そこを目指さないと自分自身が成長しない」1メートル73と捕手としては小柄だが、正確なキャッチングと頭脳的なリードが持ち味。仙台育英時代はソフトバンク・上林、そして来季阪神入りする馬場(仙台大)と熊谷(立大)と同期で、3年春のセンバツでは8強入りした。進学した北東北大学野球リーグの富士大では1年秋から定位置を獲得し、今季は主将としてリーグ8連覇に導いた。11月の明治神宮大会は準々決勝で東洋大に1-9で敗退。先発した来秋ドラフト候補の最速149キロ左腕・鈴木翔天をリードしたが3回4失点でKOされ、救援陣も打ち込まれた。「鈴木は直球も走っていたし、全体的に調子は良かったが、勝負どころで甘い球を捉えてくる東洋さんの打線の方が上だった」。力の差を見せつけられての大敗。それでも在学中、一度も他校にリーグ王座を渡さなかった4年間を振り返り「頑張ってきてよかった」 と充実感も漂わせた。2学年上の多和田 (現西武)、1学年上の小野 (現阪神) とバッテリーを組んだことは大きな財産だ。「2人とも練習から凄く意識してやっていて、一球たりとも無駄な球がなかった。2人に引っ張ってもらい、成長させてもらった」。多くのことを学んだ先輩、そして上林ら高校の同期と2年後に同じ舞台に立つため、社会人で一回りレベルアップする。(記者コラム・原田真奈子)
秋田工 鈴木吟河選手(2、神代)平成29年全国高校駅伝大会登録。 【2014.5.03】生保内公園野球場改修工事竣工記念試合(5/03)。10:00~ 岩手県立久慈工業高校-秋田県立角館高校、13:30~ 仙北市立生保内中学校-仙北市立神代中学校。<生保内中>[投]鈴木健斗(3)、[捕]大石開仁(2)、[一]門脇将真(3)、[二]横田秀太(3)、[三]柏谷青龍(3)、[遊]○高橋夏南人(3)、[左]千葉了太(3)、[中]田口寛士(2)、[右]堀川凱斗(3)、阿部晴喜(3)、羽川翔斗(3)、吉田大成(3)、高橋瞭平(2)、能味淑人(2)、地主雄一郎(2)、田口瞭(2)、菅原翔(2)、[部]伊藤博幸、[監]佐藤公則。<神代中>[投]大沢和樹(3)、[捕]工藤壮(2)、[一]藤井駿矢(2)、[二]藤井翔(2)、[三]鈴木吟河(2)、[遊]○大石柊人(3)、[左]高橋修造(2)、[中]大山陽介(3)、[右]芳賀風斗(2)、三浦伸太郎(2)、藤井聖弥(2)、曾場達希(1)、佐々木剛(1)、高田京志郎(1)、樋口優輝(1)、藤井元輝(1)、藤本涼雅(1)、三浦優音(1)、[部]小松満、[監]武藤康司。
本多高生選手(大館鳳鳴-大館一)熱球通信(平成11年8月)より転載
<日刊スポーツ新聞社東北取材班> https://twitter.com/nikkan_tohoku
http://www.asahi.com/koshien/articles/ASKDF13GNKDDUBUB01C.html 全国高校野球選手権大会 (夏の甲子園、朝日新聞社・日本高野連主催) のトーナメントを、47都道府県での地方大会から甲子園の決勝までを一つにして、1枚の紙にまとめている人がいる。能代市の久保市誠さん(68)。今夏の大会に参加した全3839チームを手書きした紙は、横幅15・5メートルになった。使うのはロール状の模造紙で、縦幅は70センチ。作業は各地方大会の組み合わせ抽選日を調べるところから始まる。6月に抽選が行われると、翌日の新聞などからトーナメントを入手。勝ち上がりも追いかける。そして夏の甲子園の最初の組み合わせが決まったら、好きなブロックを一つ選んで紙の左端から書き始める。各地の代表校は紙の中ほどにやや大きく。その下に、地方大会のトーナメントを万年筆で下書きなしで書いていく。地方大会の出場校を書くスペースは、幅4ミリしかない。次の組み合わせ抽選後、残りのブロックも対戦カードに従って右へ書き広げていく。手のかかる表を作り始めたきっかけは、秋田市の会社で営業職をしていた1976年にさかのぼる。夏のある日、会社帰りにふと思った。「地方大会と本大会で一つのトーナメント表を作ったら面白いかな」早速やってみた。その時は都道府県別に地方大会を紙に書き、甲子園での組み合わせが決まった後にテープで貼り合わせていた。仕事が忙しくて数年で中断したが、6年前、秋田大会の決勝で地元の能代商(今の能代松陽)が優勝するのをテレビで見て感動し、再開を決意した。「寝た子を起こされました」 貼り合わせると見た目が悪いので、1枚紙を使うやり方に変えた。昨年は約800校を書いたところで対戦カードを間違えたことに気づき、一からやり直した。地方大会によって出場校数が違うため、トーナメントの高さを調整する必要もある。苦労は多いが、「それもまた楽しい」。再開した年、近所に住んでいた能代商の主将に、学校名と主将の名前をトーナメント表の秋田大会の頂点に書いてもらった。それからは、秋田大会の優勝校の主将に校名などを書き込んでもらうのが恒例行事となった。「記入は主将へのプレゼント。責任を負って務めたわけだから」 来夏の第100回記念大会では新たな計画がある。「地方大会の代表全56校に手紙を出し、主将直筆の学校名と主将名を集めたい」。裏がシールになっている記入欄を郵送し、書き込んでもらう。そんな夢に今から胸を躍らせている。(緒方麦)
http://www.asahi.com/koshien/articles/ASKCL661JKCLUBUB00B.html 全国高校野球選手権大会 (夏の甲子園) の初戦で秋田勢が13連敗し、2011年に強化プロジェクトが立ち上がって7年。定評ある県外の指導者からの助言や強化招待試合などを通じ、県勢は着実に力を付けてきた。いよいよ来年は、真価が問われる節目の第100回記念大会を迎える。11月半ば、秋田市の秋田中央高の室内練習場で、投手の投球動作解析の撮影が行われた。県内23校から投手ら約50人が参加した。各投手は直球と変化球を計20~30球投げ、軌道計測器が球の表面の動きを読み取る。数値は瞬時に解析側の端末へ送られ、記録される。球の回転軸や軌道のずれ、回転数などをデータ化し、専門家から実践的な助言を選手に還元する仕組みだ。助言や指導は来年1月下旬に予定している。解析を行うのは、国学院大人間開発学部の神事努准教授(38)。野球のバイオメカニクス (生体力学) が専門で、11年のプロジェクト開始時から関わる。「13連敗が 『けがの功名』 になったと思う。他県にはない素晴らしい取り組みだ」 と評価する。6年前に秋田高の投手として参加した神居恵悟さん (23) は今年、十和田高の教諭になり、今回は野球部監督として参加した。「選手が現状を把握でき、どこを直すべきなのかがわかるのは、本人や指導者にとって大きい」 と話す。通常は1、2年生が対象だが、今回は今秋のプロ野球新人選択会議で広島に育成2位で指名された大曲工3年の藤井黎来投手も、球団の許可をもらって参加した。「プロでは切れと制球で勝負したい。球の回転数を知っておきたかったので良かった」 と笑顔を見せた。県高野連や県は、強化プロジェクトを通じて、こうした技術指導のほか、県外の指導者からの助言や講習会、強化招待試合を毎年実施してきた。初戦13連敗後の7年間で秋田勢は夏の甲子園で5勝を挙げ、15年には成田翔投手=ロッテ=を擁する秋田商が準々決勝に進んだ。1915年の第1回大会で秋田中(今の秋田高)が決勝に進んで以来の夢、秋田勢による全国制覇の期待も膨らむ。神事准教授は、選手より指導者の意識が変わってきたことがプロジェクトの大きな意義だと言う。「自分の先入観を補正したり、再認識したりすることで、指導力を培っていけるはず」 と話した。(山田佳毅)
#121 藤井黎来投手(18、大曲工)
2017(平成29年) 「熱球通信」 選定 高校野球重大ニュース
2016(平成28年) 「熱球通信」 選定 高校野球重大ニュース
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