<毎日新聞2015年02月26日地方版> 例年よりも、母校の応援に力が入る。センバツに出場するから、だけではない。自分の背中を見て大曲工野球部に入ったおいの活躍が楽しみだからだ。中邑裕也さん(26)は、2006年春に野球部が初めて県大会優勝を果たしたときのエース。自身は手が届かなかった甲子園切符を手にした後輩たちに 「勝ってほしい」 と心底願っている。中邑一生選手(2年)は兄の長男にあたる。昨年秋の大会では右翼手。打力があり、五番打者としてクリーンアップの一角を担っていた。9歳年下の一生選手は、大曲工時代の自分に憧れて野球を始め、そして後を追うようにして入部したのだという。「甲子園に出るのだから、もう自分を超えたと思う。誇りを持ってプレーをしてもらいたい」 と望む。中邑さん自身は阿部大樹監督の勧めもあって日本大に進み、硬式野球部に所属した。卒業後は地元に戻り、社会人として猿田興業軟式野球部で野球を続けている。今も母校の試合を足しげく観戦する。「やっぱり、雪国でもやれるんだという姿を見せてほしい。そして、大工(だいこう)(大曲工)の名を全国にとどろかせてほしい」【中村俊甫】
大輪よ咲け’15センバツ大曲工/13 誇り持ちプレーを OB中邑裕也さん(26)。
<毎日新聞2015年02月26日地方版> 例年よりも、母校の応援に力が入る。センバツに出場するから、だけではない。自分の背中を見て大曲工野球部に入ったおいの活躍が楽しみだからだ。中邑裕也さん(26)は、2006年春に野球部が初めて県大会優勝を果たしたときのエース。自身は手が届かなかった甲子園切符を手にした後輩たちに 「勝ってほしい」 と心底願っている。中邑一生選手(2年)は兄の長男にあたる。昨年秋の大会では右翼手。打力があり、五番打者としてクリーンアップの一角を担っていた。9歳年下の一生選手は、大曲工時代の自分に憧れて野球を始め、そして後を追うようにして入部したのだという。「甲子園に出るのだから、もう自分を超えたと思う。誇りを持ってプレーをしてもらいたい」 と望む。中邑さん自身は阿部大樹監督の勧めもあって日本大に進み、硬式野球部に所属した。卒業後は地元に戻り、社会人として猿田興業軟式野球部で野球を続けている。今も母校の試合を足しげく観戦する。「やっぱり、雪国でもやれるんだという姿を見せてほしい。そして、大工(だいこう)(大曲工)の名を全国にとどろかせてほしい」【中村俊甫】

<毎日新聞2015年02月25日地方版> 「甲子園でしか学べないことがある。練習で積み重ねた成果を発揮して」。大曲工(大工)野球部OBとして、そして、母校の教壇に立つ教育者として、大舞台に挑む生徒たちにエールを送る。強豪校にあこがれて大工に進学し、高1の秋、現在の阿部大樹監督が就任した。中学時代は投手だったが、阿部監督の勧めで外野手に転向。大工野球部史上初の、秋季東北大会進出に攻守で貢献した。「阿部先生は、レギュラーも補欠も関係なく一生懸命教えてくれた。授業も、前向きな言葉がたくさん出てくるので楽しかった」と振り返る。温かく、時に厳しい指導にあこがれ、高3のころには阿部監督の背中を追いかけるように、工業高教員を志す。猛勉強の末、八戸工大に合格。卒業後、臨時講師として県南の公立高に勤務し、横手清陵では野球部コーチと監督を計7年務めた。そして大工の臨時講師に転身した昨夏、教員採用試験に合格した。実に12回目の挑戦だった。今は野球部の指導に携わってはいないが、「阿部先生の存在が自分の原点。いつの日か、一緒に野球の指導ができると思うだけでわくわくする」。後輩たちには、「就任20年目の阿部先生に、“甲子園1勝”をプレゼントを」。阿部監督の口癖「日々の積み重ねが大事」 を実践し大舞台をつかみとったナインに、「大観衆の前でも、正々堂々と自信を持って普段着のプレーをしてほしい」 と願う。それが、大工野球部の伝統になり、選手の今後の人生に役立つ、と信じている。【中村俊甫】
<毎日新聞2015年02月23日地方版>
花岡中生徒会企画による閉
http://ameblo.jp/yamabiko1228/entry-11840391185.html
<平成26年度猿田興業株式会社登録選手、秋田県軟式野球連盟強化Aランク指定> 渡辺拓(監、選手兼)、○小松大樹、滝沢英之、伊藤智史、川田貴明、
秋田市土崎郵便局は2015(平成27年)2月12日、年末年始の繁忙期に部員全員で年賀状仕分けのアルバイトをした秋田県立秋田西高校野球部(竹中涼将主将)に感謝状と練習用硬式ボール1ダース贈呈。
昭和47年夏第54回大会 2回戦大曲工4-1大館鳳鳴、3回戦大曲工7-4十和田、4回戦大曲工5-4横手、準決勝大曲工0-4金足農、秋田市立と金足農が西奥羽大会出場。
<スポーツ紙他配信>人口40万人以上の市町村(東京23区を除く)で春夏甲子園出場校を出していないのは、八王子市(約56万人)・松戸市(約49万人)・横須賀市(約42万人)の3市。共通しているのは、リトル、シニアなど野球環境は充実しているが、大都市圏に隣接しているため、有望選手が流出するためか。[主な甲子園出場校] 横浜市-横浜、大阪市-上宮、名古屋市-中京大中京、札幌市-北海、神戸市-神港学園、福岡市-東福岡、川崎市-桐光学園、京都市-龍谷大平安、さいたま市-浦和学院、広島市-広陵、仙台市-東北、北九州市-九州国際大付、千葉市-千葉経済大付、堺市-三国丘、浜松市-浜松商、新潟市-日本文理、熊本市-熊本工、静岡市-静岡、相模原市-東海大相模、岡山市-関西、船橋市-市船橋、鹿児島市-鹿児島実、川口市-川口工、姫路市-東洋大姫路、宇都宮市-作新学院、松山市-松山商、東大阪市-近大付、倉敷市-倉敷商、西宮市-報徳学園、大分市-大分商、福山市-近大福山、市川市-千葉商大付、尼崎市-市尼崎、金沢市-星稜、長崎市-長崎商、高松市-高松商、町田市-日大三、豊田市-豊田大谷、藤沢市-日大藤沢、富山市-富山商、岐阜市-県岐阜商、枚方市-東海大仰星、宮崎市-宮崎商、柏市-柏陵、豊中市-履正社。
<毎日新聞2015年02月13日地方版>−−在任期間は歴代最長の23年。1971年から第3代監督を務めた。母校だし、やるからには少しでも長くとは思っていた。でも、まさかここまでできるとはね。皆さんに感謝しています。−−野球部創設2年目の64年に3期生として入学し、現役時代は投手として活躍した。歴代監督でも野球部OBは一人だけだ。新しい高校なら、すぐ試合に出られるかと思ってね。道具がなくて、手をしびれさせながら竹のバットで練習したのが懐かしいよ。監督になったのは、どうしても地元で野球がやりたかったから。一度は千葉で就職したけど、当時の時田二郎監督に頼んでコーチをさせてもらった。その後監督を継いだんだ。出身校の監督で良かったこと?選手と同じ目線で前に向かう気持ちを持てたことかな。有名校に負けまいと必死に練習したよ。−−就任2年目の夏に県4強入り。さっそく成果を出した。メンバーに恵まれたんだよ。実はその年、練習に来なかった主力選手を3人も辞めさせた。厳しくて、評判は良くなかったかもしれない。残念ながら、強豪校には小差で負けることが多かった。−−94年から4年間、横手工(現横手清陵)に移った。大曲工に戻ると阿部大樹監督が指導していた。阿部さんはぼくと入れ違いでコーチになり、監督に“昇格”した。その指導が軌道に乗り始めていたので、監督に戻りたいと思わなかった。でも手が回らないというので、指導を手伝うようになったんだ。5年前に退職してからも、ちょくちょくグラウンドには来ているよ。家も近くだし、気になってさ。そうそう、父親も大工(だいこう)(大曲工)野球部だった子が、気付いただけでこれまでに4人もいるんだ。うれしいよね。同じ大工、しかも野球部を選んでくれて。父親が嫌がったら、そうはならない。−−センバツ出場を決めた今のチームに思うことは。今のチームが強くなったのは、目標になる3年生がいたからだよ。甲子園に手が届きそうだった先輩たちから学んだところは大きい。体格は細いけれど、昨秋の東北大会の頃よりは一回り大きくなっているね。センバツは、一勝と言わず何度でも勝ってほしいよ。【聞き手・中村俊甫】
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<日刊スポーツ他配信> 北東北大学リーグの青森大学野球部新入生説明会が2015(平成27年)1月31日、青森市内の同大で開かれ、今春入学予定の新入部員はここ10年で最多の40人。甲子園球児4人など例年以上に有力選手がそろった。甲子園出場は和島光太郎捕手(弘前学院聖愛)、伊藤航外野手(盛岡大付)、菊池健人外野手(花巻東)、中尾有希捕手(箕島)の4人。ほかにも星野晃司投手(地球環境)、北村航太捕手(横浜創学館)ら各地の有力選手が集まった。岡本裕樹投手(関西中央)は184センチ、90キロの大型左腕。中学時代にNOMOジャパンに選ばれ、米国遠征の経験を持つ。「青森の雪にびっくり。1年生からレギュラーで投げたい。甲子園には行けなかったが、神宮に行って優勝したい」 と張り切る。和島は2年生の夏に甲子園でベスト16入り。「1年生から主力で試合に出たい。生活も高校以上に規則正しくしたい」。盛岡大付伊藤は昨夏の甲子園で、ソフトバンク入団の松本裕樹投手らとともに東海大相模を破った。「青森大の目標の全国優勝に貢献したい」 と闘志をみせた。