★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

2014年12月

2014(平成26年度) 秋田県高野連指導者講習会・監督会議 高橋功一氏がパネリスト。

nosiro 12014(平成26年)秋田県高野連指導者講習会・監督会議が秋田市内で開かれ。小野和幸氏(52、金足農-秋田北)、高橋功一氏(43、能代-鶴形)、 藤田太陽氏(35、新屋-飯島)の元プロ野球投手3氏がパネリストとして参加。<平成元年夏 秋田県立能代高校 登録選手> [投]高橋功一(3、右右、183/80、鶴形)、[捕]敦賀鉄弥(3、能代一)、[一]中川信(3、東能代)、[二]長内隆(3、鶴形)、[三]菊池和仁(2、二ツ井)、[遊]大高純(3、能代二)、[左]渡部光明(3、山本)、[中]○児玉誠(3、能代二)、[右]安田幸道(3、山本)、成田裕幸(2、能代南)、工藤栄(2、八森)、小林武彦(2、峰浜)、安保天志(3、阿仁一)、須合亮(2、二ツ井)、大塚政徳(3、能代南)、菊池忠孝(2、二ツ井)、伊藤高洋(3、藤里)、[部]戸松恭一、[監]尾形徳昭 。

2014(平成26年度) 秋田県高野連指導者講習会・監督会議 藤田太陽氏がパネリスト。

araya22014(平成26年)秋田県高野連指導者講習会・監督会議が秋田市内で開かれ。小野和幸氏(52、金足農-秋田北)、高橋功一氏(43、能代-鶴形)、 藤田太陽氏(35、新屋-飯島)の元プロ野球投手3氏がパネリストとして参加。<平成9年夏 秋田県立新屋高校 登録選手> [投]藤田太陽(3、右右、184/78、飯島)、[捕]○鈴木賢治(3、飯島)、[一]渡邊晋(3、下浜)、[二]酒井和也(2、秋田西)、[三]伊藤貴之(3、勝平)、[遊]藤垣和孝(3、土崎)、[左]中村紳(3、山王)、[中]成田康輝(3、山王)、[右]加藤俊介(2、秋田南)、森川塁(3、城南)、三浦和真(2、秋田東)、佐賀泰史(3、豊岩)、吉田統(3、飯島)、齋藤貴志(2、秋田西)、土井敬(2、飯島)、佐川寿哉(3、泉)、嵯峨誠(2、下浜)、仙葉幹仁(3、勝平)、[部]田村元伸、[監]鎌田勝、[記] 佐々木幸志(3、飯島)。

秋田県内野球場紹介 秋田県仙北郡美郷町 美郷南野球場(百目木野球場) 。

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平成24年熱球通信期待選手 JR東日本 金卓史投手(右右、八戸大-秋田中央)。

kon平成26年度限りで社会人野球勇退(東京支社営業部業務課異動)。【2011.12.07】社会人野球2011(平成23年度) 関東連盟 「優秀投手賞」 受賞。【2011.12.1】金卓史投手(24、右右、181/78、JR東日本-八戸大-秋田中央-雄和) 、2011(平成23年)都市対抗優勝に貢献。秋田県少年野球大会優勝投手。<平成14年夏 雄和中学校 登録選手> (部)國安裕、(監)菅原吉伸、(記)永澤慶大、(投)金卓史、(捕)佐藤瑛彦、(一)池田勇人、(二)池田圭佑、(三)佐藤農、(遊)○珍田真樹、(左)伊藤慎一、(中)長谷川恵太、(右)佐藤雄大、(投)佐藤雄太、(内)長谷川公彦、(捕)高橋勇人、(内)佐藤一平、(外)佐藤広大、(外)金雄矢、(外)伊藤十夢、(内)鎌田裕輔、(外)菅原達也、(投)小白川宮貴、(外)浅野潤也。<平成17年夏 秋田中央高校 登録選手> (部)高橋学、(監)塚田博、投:金卓史(3、雄和)、捕:関健太(3、河辺)、一:加藤嵩志(3、飯島)、二:太田原晃(2、勝平)、三:伊藤憲人(3、飯島)、遊:渡辺龍馬(2、将軍野)、左:加賀力哉(3、男鹿南)、中:佐藤雄大(3、雄和)、右:○杉沼哲平(3、土崎)、鷲谷啓介(3、岩城)、佐々木量平(2、泉)、船木駿(2、御野場)、小沢俊介(2、泉)、鈴木龍宏(3、外旭川)、嵯峨悠也(3、勝平)、杉沼慶(1、土崎)、相馬一輝(2、将軍野)、佐々木将也(3、外旭川)、森合慎一郎(3、太平)、鎌田哲(1、大正寺)、佐々木匠平(3、将軍野)。

<秋田県高校野球ライバル物語> 高校時代は無名の両選手(上) 山田久志-落合博満。

raibaru山田、落合選手共にプロ野球中日監督歴任。プロ野球史に残る大選手も高校時代は無名選手 山田久志(能代-能代二)-落合博満(秋田工-潟西)。秋田県出身のプロ野球選手で投打の代表格と言えばこの2人であろう。落合は山田より5歳年下で高校時代の対戦はないが、2人とも目立った活躍は残していない。山田は高校2年夏の大会、三塁手として出場も彼のサヨナラエラーで金足農に敗れている。その後、失意のうちに退部し、何とか復帰した後は下手投げ投手に転向したが、甲子園とは縁がなかった。高校時代のエピソードとして3年の時にコーチに注意されたが、向こう気の強い彼はバットで殴り返そうとする。が、そのバットがカラ振りしたと本人が述懐している。球界の紳士と評された彼も高校時代は血の気の多い選手だった。頭角を現したのは富士鉄釜石に入社してからで、都市対抗での活躍がプロのスカウトの目に止まり阪急のにドラフト1位で入団。サブマリン投手最高の284勝は立派。(敬称略)※平成10年1月「熱球通信」からの再掲。

<秋田県高校野球ライバル物語> 高校時代は無名の両選手(中) 山田久志-落合博満。

raibaruプロ野球史に残る大選手も高校時代は無名選手 山田久志(能代-能代二)-落合博満(秋田工-潟西)。一方の落合の高校時代も変っている。中学時代はエースで4番でその素質に多くの高校から誘いがあったが、本人は当時あまり練習の厳しくないと言われた秋田工に進学している。練習にほとんど出なかったがその天才的な野球センスで試合ではよく打った。3年間野球部に在籍したものの練習にも試合にもほとんど出なかったのが真実らしい。落合のグランドは主に秋田市有楽町の映画館だった。練習に出ず好きな映画をよく観たと本人も述べている。高校卒業後は東洋大に進むが早々に中退し、秋田に戻ってプロボウラーを目指した。しかし交通違反で反則キップを切られプロ受験の費用がパーになったためプロを断念。もしもこの時キップが切られていなかったら現在の落合はなかったかもしれない。秋田工時代の安杖野球部長の紹介で社会人東芝府中に入社。ここで落合の素質が一気に開花した。全日本の3番打者として活躍し、ロッテにドラフト3位で入団。その後の活躍は周知の通りである。山田、落合とも高校時代は全く無名の球児だった。(敬称略)※平成10年1月発行「熱球通信」からの再掲。
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