2011年02月
昭和46年第37回全県少年野球大会で秋田西中の遊撃手としてチームのベスト4に貢献。この年代は、秋田西(と大曲)の全盛期で、昭和44年:準優勝、昭和45年:準優勝、昭和46年:ベスト4、昭和47年:優勝<統合後初優勝>と続きます。 ※(1)大会優勝旗は、3年連続優勝すると永久保持できるそうです。(2)秋田西の相原・石黒姓は脈々と現在に引き継がれています。
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【2011.02.18】高校野球指導者への回復の件では、昭和59年に初めて認められた(当初は教員歴10年以上)元東映後原富氏がどうしても印象的です。平成3年春センバツに瀬戸内(広島)を率いて出場しましたが、瀬戸内で広島県(四国というイメージ)というのと、後原監督の名字と名前が読めなかった記憶あります。
【2011.02.17】日本学生野球協会、2月16日の評議員会でプロとの交流についての「運用規則」最終案承認。主な運用新規則 ①加盟校野球部は日本野球機構(NPB)所属のプロ選手と12月1日から翌1月31日まで、原則として母校の施設で練習を行うことができる。 ②加盟校野球部は日本学生野球協会の承認を得て、日本野球機構(NPB)所属のプロ野球球団と試合をすることができる。時期は3月と8月。入場者から金銭を徴収することはできない。高校は適用しない。 ③高校野球指導者への回復は、プロ退団後2年以上、高校教諭として在職していること。実習助手、非常勤講師は教諭歴に加えないが、臨時講師は教諭経験に準ずるものとする。 [プロアマ断絶象徴的事件:昭和36年4月の柳川事件] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
【2011.01.25】日本学生野球協会、3月1日からプロと大学の試合認可へ(高校は対象外)。時期・場所は基本的に不問も入場料の徴収は認められない。また、プ現役選手がオフに母校で練習する場合の規定を弾力的に。例)OB選手が母校で練習する場合に他校OBの選手を同行させることが可能に。2月16日の日本学生野球協会評議員会で承認された後に正式施行の運び。
【2010.11.29】参議院石井浩郎議員、自民党企画「みんなでいこうZE!!」でドーム見学ツアー案内。スポーツ省設立に向け、民主党谷亮子議員との連携も示唆。
【2010.11.17】参議院石井浩郎議員(自民、秋田-八郎潟)、野球プロ経験者のアマ指導要件緩和求める。平成22年11月11日、文教科学委員会で一番得意なスポーツ振興分野で国会初質問。
【2010.10.21】悲願のプロアマ交流雪解けへ向けて、、、でもプロ対高校の試合交流は規制の対象か。日本学生野球協会は20日、日本学生野球憲章の改正で大幅に緩和したプロとの交流について、運用規則の原案中でプロと高校の試合での交流は規制される見込みとなった。使用バットが違うのも一要因。
【2010.8.11】日本プロ野球組織(NPB)の加藤コミッショナーが夏甲子園大会の決勝戦を観戦した甲子園大会の訪問は就任後2度目。
【2010.2.25】プロアマ交流、悲願の大幅規制緩和。日本学生野球協会、今年4月1日より日本学生野球新憲章施行。プロアマ合同練習可能に。 http://www.student-baseball.or.jp/
http://dodasuka.blog133.fc2.com/ 日頃からお世話になっている方のタイムリーな発案です。見るところ、「祝甲子園出場おめでとう大館鳳鳴高校」のポスターは朝日新聞社製作のようで、「春センバツ:毎日新聞社主催、朝日新聞社後援」「夏選手権:朝日新聞社主催、毎日新聞社後援」が実効されているようです。
【2010.12.5】2010年度秋田県高校野球指導者講習会・監督会議、12月3、4日の2日間開催。
【2010.10.4】日本野球連盟競技力向上地域部会の齋藤正直氏(元川鉄千葉監督、専修大-秋田、オリックス後藤光尊選手のプロ野球入りに貢献)を中心に明桜高校室内練習場等を会場に打撃・守備の基本等の基本技術・指導方法の実技講習会開催、県内の野球部監督等約70人出席。講師は、関口勝己NTT東日本元コーチ、TDK斎藤亮、佐々木弥、野田正義、阿部博明の元監督、コーチ、選手。
【2010.10.3】高校野球指導者講習会・監督会議は、1995年から毎年オフシーズンに県内の指導者が一堂に会し、実技や講演を通じて来季に向けて指導のレベルアップを図ることを目的に開催。会場は長い間「千秋会館」を使用してきたが同館閉館のためそれ以降会場を変更して開催。(12月3日講習会コーディネーター:前秋田商野球部監督小野平青山学院大学硬式野球部シニアアドバイザー)
センバツ出場機に100年近く続いた旧ユニフォームを復刻することに。
【2011.1.14】大館鳳鳴のユニフォーム、胸文字の書体がローマ字[HOMEI]から漢字[鳳鳴]に変更になったのは、「平成15年春~」。
昭和7年3月5日東京生まれ、都立五中(現小石川高)在学中、東京大空襲のために両親の郷里秋田市に疎開し、昭和25年新制秋田南高(現秋田高)卒業。秋田大学鉱山学部を経て東京電気化学工業(現TDK)入社。平成21年7月26日胃がんのため逝去。 ※ 都立五中OBには岡野俊一郎メキシコ五輪銅メダルサッカー日本代表コーチ。
高校時代は野球部(内野手)に所属し、甲子園出場は果たせなかったが、秋田大学時代、母校の甲子園出場時(昭和28年夏)にはノッカーを務めている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/TDK%E7%A1%AC%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%90%83%E9%83%A8
今春の大館鳳鳴のセンバツ出場により、夏秋田県大会準優勝(奥羽大会があった当時は県大会優勝)実績があり、2011年1月末時点でまだ甲子園の切符を掴んでいないのは「湯沢」など数校に。とりわけ「秋田南」は過去2回の準優勝実績があり、学校創立50周年も控えていることから学校関係者にとっては今回の大館鳳鳴甲子園出場は非常に刺激になるところ。
【2010.10.23】秋田県内高等学校、創立年と野球部創部年一覧(平成22年7月現在)。
【2011.1.26】2月上旬の審査会で金額等総合的に判断して選定し、2月14日のバレンタインデーから新名称移行。
【2011.1.14】カー用品大手の「オートバックス」などを全国にFC展開する持ち株会社G-7ホールディングス(本社:神戸市)が名乗り出た。
【2011.1.13】神戸市は1月11日、現在のスカイマーク社との契約満了に伴い、新たにスポンサーを公募すると発表した。契約期間は年以上、金額は年間税込3000万円以上、名称に「神戸」か「KOBE」を入れることが条件。募集期間は1月14日から24日まで。2月14日ヵら新名称使用開始。また、大阪ドームの命名権を取得している京セラは、2014年3月まで契約することで合意。
【2010.12.15】神戸スカイマークスタジアム、2011年から名称変更へ。神戸市は、オリックスが準本拠地として使用している神戸スカイマークスタジアムの名称が2011年2月から変更になると発表。来年2月に契約(現在命名権を持つスカイマーク社契約更新せず)満了となるのが理由。管理者である神戸市は、公募で集まった企業の中から審査会を経て条件に合致する企業を選択するとしている。
<新聞報道より>三重県の高校野球部監督等指導者が、中学生に野球を教える練習会が平成23年2月6日に県内4会場で開かれた。中学校の野球部員の技術や意欲の向上を目的に、三重県中学校体育連盟と三重県高校野球連盟が初めて企画したもの、 参加した中学生は4会場で約640人。
大館市、センバツ出場大館鳳鳴に1000万円の予算計上、3月の市議会で提案へ。伝統校だけに親子3代同校OBの例も。
【2011.2.04】大館鳳鳴高校関係7団体により設立、募金期間:平成23年2月15日~4月5日。1口1,000円以上(同窓生は3,000円以上)、問い合わせ窓口:大館鳳鳴甲子園派遣後援会事務局 0186-42-0002。 ※ 関係団体:振興会、鳳鳴会、鳳翔会、PTA、野球部父母の会、野球部OB会、野球部OB父母の会。